先日、千葉県を中心に大きな被害をもたらした台風通過の際に、新幹線の運休で関西から東京に帰れなくなった親しい知人から聞いた話です。翌朝、戻った品川駅では山手線ホームへの入場規制でコンコースは人がほとんど進めない状態ながら、南北の通路は開いているとの構内アナウンスを聞き、そちらに回ったら空いていて普通に乗り換えができた、と。一体どうして多くの人は動かないのでしょうか。

 同じ頃、井の頭線という短い私鉄線がやはり台風の影響で復旧のめどが立たない不通になっており、テレビでは駅から外の道路にあふれて延々と並ぶ人々を映していました。同様に待つ必要は当然あるでしょうが、それでも動いているバスや、あるいは徒歩でもせいぜい数十分かければ動いている他線へ歩けるのに、運転再開の見込みが立たないと示されているにも関わらず行かない、工夫しようとしない多くの人々は、品川駅の様子に重なります。
 無論、足が悪い人、体が弱い人は一定数必ずおり、そんな弱者のためにも駅の列は短くなるべきですし、道順はいくらでもグーグル先生が教えてくれ、誰かに尋ねることもできます。思うに、彼らにとって、より大切なのは出勤や登校自体ではなく、努力や並んでいる実績作りなのではないでしょうか。周囲と同じ行動をとっているだけで安心なのかも知れません。
 他方、近年台風の際に会社が前日から臨時休業や半休を決めて、社員をほぼ小学生扱いするのにも呆れます。その結果かどうか、同夜のNHKニュースでは「出社するかどうかを自己判断せよとは、会社は鬼か」という主旨のツイートが、何の批判的視点も加えずに紹介されていたのです。自分で考えよとの指示を何が何でも出社せよの意図だと勝手に解釈しているのか、少なくとも例えそんな社風の中にあって「自らの状況判断で休んだ」と主張して職場を変えようとしないのは間違いありません。
 そして、翌夕は朝日新聞の社会風刺短文コラム『素粒子』までもが、「根性出社は時代錯誤。社員任せも無責任。」と書いていたのには驚きました。各々判断せよというのが妥当な常識だと思いきや、考えることを拒む風潮はついに大マスコミが庇護するほどになっていたのか、一体こんなことで日本の将来はどうなるのかと、私は大げさに危惧せざるを得ません。
 以前本欄で取り上げたエスカレーター片側空け問題が一向に改まらないのにも、同じことが言えます。今では大多数の人が「エスカレーターで歩いてはいけない」と知っているのに、全国で毎日のように事故が起きているのに、多くの人は仕方なく歩いているのに、「何が少しでも正しくて、何が自分で責任を取れる行動なのか」を考えようとしない。こうした思考拒否癖が染みついていたら、いざ自身に問題が降りかかった際に発揮される行動力が育まれずに、権威・権力への抵抗を余儀なくされる対処や打開はできないでしょう。
 ましてや他人事に共感を寄せることは難しくなり、約束と全く違う労働をさせられている外国からの技能実習生問題や、自殺者が止まらぬほどひどい扱いと言われる入管長期収容問題の放置はその証左です。人々の不思考は行動力の低下や無関心を招き、解決力が低い社会を生んでしまいます。

綾崎幸生(あやざきゆきお)=会顧問
[会報『くさぶえ』 19年10月号掲載]