学術会議の会員候補6名の任命を首相が拒否した事件発覚のひと月後、当会のリーダーにネットアンケートを行ったところ、29名という回答の少なさ以上に、授業・講義でのこの問題の取り上げられ方が、「全く無し」24名、「話題にされた程度」4名、「内容を多少説明された」1名、「問題点を説明された」1名だったことに愕然とし、大げさでなく怖くなりました。今度ばかりは高等教育なら、多くの教員が口を開くだろうと勝手に想像していたのです。
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「この問題が当会に影響するとしたらどのようなことが考えられるか」の問いに対しては「力のあるリーダーが恣意的に”理想的な”班や組を考えてつくりあげてしまう。リーダー間で、多数意見とは異なる視点や反対意見を交えた発言や態度をする人を”ウチラっぽくない”、”疎ましい”と仲間外れにする」との回答がありました。それは唯一、授業で問題点を説明された学生からのものでした。
会では顔を合わせた子どもたちと、どんな組や班にしたいかを相談しますが、たまに「家族のような班にしよう」という意見が出ます。その時に「いいね」と共感するだけでは、虐待されたり家が居心地の悪い場所だったりする子の立場にはなれません。また、「俺ら火おこしするから女子は野菜切ってよ」といった性別固定概念を拭う役割も求められます。家族観がさまざまあることを解っているためには、当然ながら多様な生き方や異論に触れる機会を多く持つ必要があります。
同じ意見の人ばかりを近くで固めて、反論を遠ざけていたらどうなるか。大人にとって、そこから良いものが生じないのは重々ご承知でしょう。自分に意見してくれる人こそ持つべき友人であり、耳の痛いことを指摘してくれるから配偶者としての価値が高まります。「そうだよね」と共感するばかりの友人しかいなくなってもそれは当人の損得事情ですが、行政がお追従を唱える人だけに囲まれていたら、たまったものではありません。福島原発の防潮堤の高さも冷却電源の設置場所も、慎重派の意見に向き合ってさえいたら、未曾有の大災害を防げたのです。コロナ禍でも、感染症防御専門家の意見を尊重していたら、昨春の一斉休校による大損失は起きませんでした。
しかるに、違法な学術会員任命拒否の理由が今も示されないまま、明白なのは6名の共通項が安保法制への反対表明という事実。軍事研究を拒否している学術会議への対抗という見方が強く、イタリア学会の言葉を借りれば「問題の本質は、時の権力が『何が正しく、何が間違っているかを決めている』点において、ガリレオ裁判と変わりない」訳です。
とても専守防衛と言えない日米共同軍事演習の実態や、護衛艦の空母化を見る近年、科学者の意見が無視され、市民も座視していたら、向かう道の方向を変えることはできません。
戦前の思想弾圧事件・滝川事件の当事者で、学術会議の第一期会員だった末川博・元立命館大学長は、「学問の自由を失えば真実を見る目は閉ざされ物言う口は封じられる。私たちが油断して不断の努力を怠れば、いつまた私たちが体験したような状態になるかも知れない」と半世紀以上も前に警告していました。
綾崎幸生(あやざきゆきお)=会顧問
[会報『くさぶえ』 21年3月号掲載]