新婚旅行以来、30年ぶりに訪欧しました。かつてとは大きく異なり、出発するずっと前から自宅に居ながらにして本場のバレエ舞台や列車のチケットをウェブサイトで購入しておけたり、飲料1本からクレジットカードが使えたりと、まさに飛躍的に便利になりました。両替も少額で済み、オーバーシーコールという大げさな表現をしていた国際電話も、無料のLINEでのやり取りかLINE電話で事足りる訳です。

 長年保育士をしている妻によれば、最近のままごとでは、支払いにクレジットカードを使う仕草をしたり、「ぺいぺいでね」と電子マネー決済の真似をするようになっているとか。思えば、私自身もいつの間にか、地元のパン屋や野菜の直売所、飲み会の割り勘といった、限られた場面以外で現金を使うことはほぼ無くなっていることに気づきました。もはや、今の学生たちは大半が子どもの頃から交通系ICカードを持たされて電車に乗り降りして切符を買ったことがありません。
 最近、ついに祝儀が電子マネーで決済可能な結婚式の話を聞きました。それで祝意が届くのか、味気なさ過ぎるのではないかと感じる人が今は多数でしょうが、すでに神社の賽銭も電子マネーで払える時代、祝儀袋の体裁が凝り出しメッセージを添えるようになったのも近年のこと。きっと慣れの問題であって、若者は壁を軽々乗り越える気もしますが、何より、多額の現金を扱える社会人が減っている現実問題が、制度や習慣を変えるのでしょう。
 実は子ども会でも、当日に子どもたちから小遣い他の現金を預かり、リーダーたちが数え、集計するのに、あるいはお土産選びの金額を計算するのに、年々間違いが増えており、困っています。二桁の暗算すらできないのが特別でないのは彼らのせいではなく、集中してよく確認すべしではどうにもなりません。ちなみに、かつて私が電卓代わりに使っていた暗算八段の長女が、先日Siriに足し算をさせている姿を見て、驚き、本当にがっくりしました。レシートをスマホで撮るだけで家計簿集計ができる時代、果たして私たちも昭和の匂いぷんぷんのアナログ手法から脱し、並んだ数字を撮って合計額を出すべきなのでしょうか。
 さて、何をするにも便利で早くなった世の中ですが、快適と引き換えにさまざまな能力を失っていることへ、もっと目を向けなければいけないと、このところ自省しています。
 例えば、具材を混ぜて炒めるだけの調味済レトルトやカット野菜の登場は、世の仕事と育児の両立を前進させ、私も助けられました。
 しかし同時に、それらを使わないことで、早く切る技術が向上したり、生鮮食品を見分ける力がついたりする満足も見逃せません。いつも出来合いに頼るだけでは創意工夫への意欲をそぎ、調理法と味付けの多彩さや作業自体の価値を獲得しにくくもなります。泥のついた野菜を洗い慎重に皮を剥き、包丁の入れ方で味の通り方が変わるなどの実体験を子どもたちにさせる機会を奪う可能性も、小さくないのです。
 本来は子どもの想像力を育む段ボール工作やブロック遊びまでもが、単なる組立キットに成り下がっていながら売れるのは、無意識に何でも手軽な品を選ぶ癖をつけた大人が少なくないからだと思います。

綾崎幸生(あやざきゆきお)=会顧問
[会報『くさぶえ』 19年12月号掲載]