親からの暴力を訴えながら小4女児が虐待死した千葉の事件に、いたたまれない思いの方が多いことでしょう。父親の恫喝に対して、同様の刃が子どもにも向いていることが容易に想像されるのに、児相も教委も学校も脅しに屈していました。虐待してしまう親を救うためにも存在するはずの機関が、専門性を発揮する以前の所で「不都合なもの」に向き合う姿勢を示さなかったことは、私には、愛知・三河地区と並んで(自分の頭で考えさせようとしない)管理主義教育で知られるこの地域の特性と無関係には思えません。

 毎年恒例でいくつかある現旧リーダーたちのスキー旅行の一つに、先日出かけました。メンバーの中に、子どもの頃から当会に参加している夫婦とその幼子がいたのですが、その3歳の男児が食事中にしばしば、昼も夜も昨日も今日も、眠ってしまうのです。0歳や1歳児がたまにならいざ知らず、また一年前から状況が変わっていなかったため、食事の与え方を観察した後で、夫婦から話を聞きました。
他人の子育てに口を挟むのは姉妹でも難しいと聞きますが、これは目に余ると思って私は彼らに意見しました。現状として、食べなきゃダメよと言いながら、寝ることを初めから認めてしまっていること、寝てからも口に食事を運んで、咀嚼しないまま頬に食物を貯めさせていること、恐らくその積み重ねが、彼に自分は寝ながら食べて良いのだと思わせているし、親もそれが我が子の個性だと思ってしまっていることなどです。親は全く食べないよりはましと思ってつい食べ物を口に運んでいたそうですが、寝るなら諦めて寝かせるなど、けじめをつけて食事習慣を獲得できるように助言しました。
こうした例は、高速道のサービスエリアやスーパーなどでも実によく見かけます。売られている商品を触ったり手に取ったりする子どもに対して、親が口先では「イケナイ」と言って子を放置していないつもりでいながら、その行為を実際に止めてはいないため、子どもは並んだ品を触り放題。結局、その注意は幼児にとって「触っても良いよ」と言われているのと何ら変わらない、お墨付きなのです。
子ども会でも、粗暴な子に対して「乱暴はイケナイ」と注意しながら、暴力を実力で止めなかったら、許すことや被害を重ねることになり、それは乱暴した子の自己否定観の深化にもつながってしまいます。
中高生、場合によっては大学生や社会人までが抱える、「同居の親に朝起こされている問題」なども似ています。親が「自分で起きなさい」と言いながら起こし続けていたら、どうせ起こしてもらえる娘や息子らには、自分で起きようとする動機が生じません。「いや、放任していたら遅刻してしまうから起こさざるを得ない」というのは親の言い訳です。授業にも部活にもバイトにも遅刻するならして後悔させるしかありません。それで周囲に迷惑をかけた責任は親ではなく、自分にあると痛感してこそ、成長できるのです。
これらは、何でも大人の思い通りにして良い子でいなさいと言うのとは異なります。元々親は未熟なものですが、大人として毅然と何を子に伝えるべきかを考えることで、答えは見えくると思います。

あやざきゆきお=会前代表
[機関紙『くさぶえ』 19年3月号掲載]