北海道胆振東部地震が起きたのは、「夏の子ども会」閉幕から間もない9月6日でした。今なお一部で避難生活を余儀なくされている人がいる一方、全道に及んだ停電は3日間で99.9%が復旧しました。40名以上が亡くなった大災害が大きく報じられたのは当然ですが、被害は大きな北海道のごく限られた地域であり、調べた所、各種イベント開催が影響を受けたのも概ね9月中旬まででした。
 それにもかかわらず、秋の北海道修学旅行を予定していた学校の実に8割以上が中止や延期(行き先変更を含む)をしたと報じられており、私は驚きと共に、危険回避の管理について深い懸念を抱いています。

 余震が心配された9月半ばまでのことならば、予定変更もやむを得ないかも知れません。しかし、その頃すでに道知事を始め各首長や観光地自らが、安全と、計画通りの訪問自体が一番の復興支援であることをアピールしていました。
 中止した学校の言い分は大抵「保護者の不安を拭えないから」と、往々にして実際には何%いるかどうかも判らない保護者のせいにしていますが、一体その不安を誰が拭うべきなのでしょう。高校教員は社会の中で一定の知見を持った集団であるはずです。北海道が中部地方を丸ごと包む位に広大で、被災地と観光地の集中する道東・道北とは数百kmも離れていること、行き先をどこに変えても自然災害は起こり得るし、そもそも遠くに移動し屋外で活動すること自体がリスクだが、それ以上に利益があるから修学旅行を実施している、そうした当たり前のことを説明して、保護者の理解を得ることが教員の仕事ではないのでしょうか。
 100万人の予約取り消しで、何百万の宿泊や食事や弁当、何万台のバスやトラックのキャンセルが出て、そしてそれぞれに従事している雇用が失われること、全てが復興支援と真逆であると思うと、残念でなりません。行くのに問題無いはずの旅行を取り止めておいて復興支援しようとは、いじめながらいじめは良くないと言っているのに等しいと、気づいた生徒は少なくないでしょう。
 予定通り実施しようという意見が出ても「いや、行って万一何かあったらどうするのか」という声に負けてしまったら、その「何か」を掘り下げずにいる訳で、「あつものに懲りた人を見ただけでなますを吹く」状態、あるいは「石橋を叩いて渡る前に壊している」状態です。
 想定リスクの評価が全くできないのですから、それこそ、その学校に異常事態が起きた場合の管理が本当に心配になります。
 さて、同じ9月の台風24号が東京を通過した朝は、ある大手私鉄の始発電車が線路に傾いていた塀に衝突して、本線が半日麻痺する事態に陥りました。東京近辺では大木が至る所で倒れたほどの大風だったにも関わらず、その会社は「規定の雨量に達していなかった」という理由で試運転をしませんでした。大勢の保守要員の中には危ないと感じた人が必ずいるに違いありません。面倒だったり苦手だったり、「不都合なもの」に向き合う力やそれを助ける仕組みは、リスク回避のために不可欠だと再認識した事故です。

綾崎幸生(あやざきゆきお)=会顧問
[会報『くさぶえ』 18年12月号掲載]