先日、創刊38年のリーダー機関誌500号発行記念祝賀会が開かれ、十代から60歳近い面々までの現旧リーダーが各地から大勢集いました。長年にわたる会活動を振り返ると、沢山ある参加意義の中でも、草創期の「親離れ体験」、初期の「自然体験」と「集団遊び体験」、中期以降の「仲間体験」に主軸を据えてきたことが解ります。それでも私は、この夏に改めて「自然に触れ屋外で体を使って遊ぶ」という大本の体験は、廃れることのない重要な体験だと再認識しました。

 5~6年位前から、体の痛みに非常に弱い子が増えていることを実感します。トゲが指に刺さっただけで泣き叫ぶ子や、膝を少し擦りむいた傷口を見たショックで泣く子もいます。転んで骨折したのかと思うほど痛がりながら、10分も冷やさない内に、何でもなかったという顔をされることは珍しくなくなってきました(無論、我慢強い子は大勢います)。発達障害による場合もありますが、いずれも多分に経験の無さからくることで、彼らを「弱い」と責めることは決してできません。
 痛みは相対的なものであり、大ケガをしたことがある人はお解りでしょうが、それ以後に何か痛みがあっても比較して感じるものなのです。かつて私はスズメバチに襲われたことがあり、その時の痛みに比べれば、高所から落ちてかかとを粉砕骨折した時の痛みなど本当にどうということはありませんでした。
 だからケガをした方が良いとは言えませんが、徐々に多少の痛みを経験しておかないと、いざ自らや誰かの命を守らねばならない際に、体を動かせないかも知れないのです。痛みだけではなく、快不快についても似たことが言えるでしょう。毎日入浴したり着替えたりしない子ども会生活を送れば、間違いなく万一の災害時にも耐性を発揮するはずです。
 転んだ時に手が出ず、顔にケガを負ってしまう子が増えていると言われて久しいですが、未経験者に特有のケガも見えてきました。野外炊事で、普通はケガしない指の部位を包丁で切ってしまう、外で遊び慣れた子ならば用心して通るであろう場所を無謀に走り、滑ってケガに至るなど、従来「思わぬケガ」で片付けていたものを危険予知に載せて、十分な注意喚起や無謀行動の予防を行わねばならないと反省しています。
 さて、概ね全国的に涼しくなりましたが、このところ朝の気温が17~18℃の日にラジオやテレビの気象情報で「肌寒い」と表現していて、驚きと大きな違和感を持ちました。従来は10~11月の、気温が15℃以下になる日を指していた言葉であり、駒ヶ根なら8月後半は毎朝のように肌寒いことになってしまいます。
 都会の建物や乗り物では、何月であろうとわずかでも暑ければクーラーを入れるのが当たり前になり、自然と乖離し空調に支配された生活が体の寒暖調整機能を衰えさせている訳です。多くの場所で雨に濡れずに行動でき、急に傘が要るならすぐに安く買え、天気の影響を受けなくなっているはずなのに、メディアでは気象の話題が幅を利かせています。
 子どもたちには、機械や情報に頼らない野外体験を積んで、天候の変化に耐える力を養って欲しいと願うのです。

綾崎幸生(あやざきゆきお)=会顧問
[会報『くさぶえ』 18年10月号掲載]