当会リーダー恒例の北海道・ニセコのバックカントリースキーでは、今年は雪が少なくて異なった景色や、視界の悪化により、私を含む12名のパーティーが方向を誤りルートを大きく外してしまいました。GPSや地図アプリのおかげで遭難することはありませんが、道路を9km歩き滑る羽目になり、たどり着いたスキー場のベースで参っていた所で、地元の方が「(グループでは圧倒的に多い)外国人が困っているのかと思い」声を掛けてくれ、一同をホテルまで送ってくださいました。たまたまその車に乗せられていた犬が、頭数があまり多くない私の飼い犬と同犬種で、奇遇と幸運を感じました。
●
子育てを終え犬を飼い始めて7年、朝晩の散歩は体力の維持にとても役立っていますが、何より、それまでは見ず知らずだった大勢の方が声を掛けてくれ、彼らとの触れ合いは都会でもその地域に住む実感や潤いを与えてくれます。駒ヶ根のような所では、道普請(道路改修)や祭に関わる諸行事、冬は雪かきなど、今でもさまざまな作業を共同で行わざるを得ず、部落に見知らぬ人はいませんが、大都会では地域活動をしている人や親の代からその地に住んでいる人を除けば、地域住民との関係をほとんど持たない人が多いことでしょう。
それで「犬友」は私にとって貴重な存在になった訳ですが、一つ違和感を拭えないのが犬猫をちゃん・くん付けで呼ぶ人が少なくないことです。その方が丁寧だと考えているのか、または一時預かりやトリミングサービスの店員の言い方から来ているのかも知れませんが、ペットは呼び捨てが良いのでは?そう疑問を抱きつつも、くん付けで呼ばれるのにこちらが先方を呼び捨てにするのははばかられます。
これは若者の会話において彼女・彼氏を「彼女サン」「彼氏サン」と呼ぶ近年の風潮や、以前から時折見かける商店チラシ地図の「○○銀行さん」などに近いものを感じます。それは、当会でも慣れない人があだ名に「さん」を付けてしまうのと同様、話し相手とさして親密でなかったり、その商店が新参者で地域に根差していなかったりと、距離を置く、あるいは関係が希薄な状況を示しているからです。
無論、丁寧さや互いに気を遣い合うこと自体が悪くはありません。また、確かに隣人に醤油を借りるよりもコンビニへ買いに行った方が気楽だし、素人の縁者・友人に頼んで引っ越すよりもウェブで見積りを取って専門業者に申し込んだ方が面倒も間違いも無い。そうして、家族以外に親密な知人が減り、交友関係が薄れるのは避けがたいことでしょう。
しかし、だからこそ他人の力を当てにして、気軽にものを頼める依存関係の重要性も再認識したいのです。誰でもいざという時に周囲を頼る「受援力」を発揮すれば救われますし、それは時に社会を動かす力にもなり得ます。その辺りに無頓着だと、「迷惑」を気にして、おねしょの布団を干せない、親の死を友だちに告げられない、権力の不正を看過してしまうといった問題は増大すると思います。
この際、私も些細なことながら、犬を堂々と呼び捨てにして犬友との距離を縮めることから始めて、迷惑を及ぼし合う表裏一体の、困って「いそうな」人に声を掛けられる人間になりたいものです。
綾崎幸生(あやざきゆきお)=会顧問
[会報『くさぶえ』 20年3月号掲載]