あしたのむこうがわ <95>
学術会議任命拒否の容認は民主主義の放棄
綾崎幸生

 日本学術会議の新規会員6名の任命を首相が拒否したことに対して、私の所属する極めて穏健な日本自然保護協会もその一つですが、500を超える学会・協会等が抗議声明を発し、多くの地方紙は厳しく批判しました。この事件は私たちの生活にも間接的にじわじわと影響を及ぼす大変な問題だと考えています。「より多くの人にとって生きやすい、より民主的な社会を支え、守る人の創造」をめざす当会としても決して看過できない、深刻な事態を招くことにつながるのではないかと危惧しています。
 改めてここで述べるまでもありませんが、任命を拒否すること自体が違法だと多くの法律家から指摘される中、政府は「総合的俯瞰的」という17年も前に同会議について全く別の文脈で使われた語を繰り返し、法令の解釈変更も法律に準じるはずの過去の答弁との齟齬も認めていません。
 閣議決定による解釈改憲、モリカケ問題の幕引きや検事総長定年延長問題などに続いてこれが見過ごされるならば、長く見てきた保守政治の中でも、この国はおよそ法治国家とは言えない状態に転落したのだと感じます(そうした乱暴な行為は、大学の学長選や教授昇進選考において一位候補が外され、記録が破棄された手続きにも影響しているでしょう)。
 さらに、特定の候補を除外することと、学術会議の在り方の問題を故意に混同させて問題のすり替えを行いました。あまつさえ同会議が大きな税金を使いながら何もしてこなかったかのような真っ赤な嘘偽りも流布されましたし、米英アカデミーに日本の7倍の公金が投じられながら独立していることを伏せたまま、税金で運営している団体なら政府方針に沿うべきだという報道もありました。少数私大や女性の研究者を外しておきながら、平気で「幅広い人材を求めるため」と釈明する首相の姿には、国民を舐めきっている空恐ろしさを感じます。
 また、任命拒否の理由は「人事に関する事柄だから言えない」の一点張りですが、6人の共通項として治安法案への反対態度しかないことは明白で、憲法が保障する思想信条の自由に反するのが自明だからこそ言えない訳でしょう。そして、それは次の候補者選定の際には任命条件を想像せよと、外部に対して忖度を必然的に求める意味に化けます。
 そもそも科研費などの補助が無ければ研究もままならない学者、特に奨学金の返済にも追われる若い研究者にとって、こうした政策の下では、勢い無難なテーマを選んだり、それこそ資金提供者の意向を忖度したりせざるを得ない状況に迫られます。そうして学問に忖度が持ち込まれた結果起きた一つの事件が、STAP細胞の悲劇だったではありませんか。
 さて、「選挙に勝った者には何でも従え」という昨今の風潮に対し、民主主義国の手本を自任するアメリカは「民主主義は、多数決原理の諸原則と、個人および少数派の権利を組み合わせたものを基盤としている。民主主義国はすべて、多数派の意思を尊重する一方で、個人および少数派集団の基本的な権利を熱心に擁護する」(在日米大使館訳)と宣明しています。「私たちの生活にも間接的にじわじわと影響を及ぼす」とは具体的にどういうことなのか、次回に続けます。
あやざきゆきお=会顧問
[会報『くさぶえ』 20年12月号掲載]
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