あしたのむこうがわ <82>
気づいて欲しい、感謝させて感動する愚かさ
綾崎幸生

 飼い犬との散歩中に何が気がかりかと言えば、ヨソ様の門前で排泄させないようにすることもさることながら、幼な子連れ対向者の反応です。「わんわん、わんわん」「おっきー」、いえ、指差しで「あっ、あっ」とだけでも表現する子らに対して、完全無視をする親が何と多いことでしょうか。「そうね、犬ね」「かわいいねぇ」と返す人は半数程度に感じます。
 育児をとうに終えたから言えるのかも知れませんが、子どもの小さな発見やその発信に対して大人が応答することは、優先すべき相当価値の高い行いだと思います。子の成長という喜びが実感でき、言葉を獲得する絶好の機会でもあり、本当にモッタイナイ!
 知人の高校教師から、仕事で欠席した我が子の保育園卒園式のビデオを観て驚いた話が伝わりました。立派な合奏や劇の後、「いつも迷惑をかけてばかりでごめんなさい」「お父さんお母さんのおかげでこんなに大きくなりました」「僕たちのために働いてくれてありがとう」「保育園の先生方ありがとうございました」「お父さんお母さん大好きです」と、年長園児が数分間にわたり一斉に唱えていたのです。さらに「会場は感動に包まれた」と言うのですから、その勘違いぶりには驚きを超えて怖くなります。
 当然ながら、これは保育園のセンセイガタが幼児に、親の前で自分たちへ謝らせ、感謝や好意の表明を強制しているに他なりません。私がその場にいたら、苦々しい思いで耐えた後に異議を申し立てたでしょう。恩着せがましいにも程がありますし、これで感動していたら、某国の将軍様に感謝を捧げる少年少女隊を見て感激するのと変わりませんから。
 こうしたことが行われる背景の一つに、学生がサークルの発表会で仲間や家族への礼を表したり、私の好きなリトグリというボーカルグループのライブでバックバンドへの過剰な謝辞が聴衆の前で披露されたりと、従来忌まれてきた行為が大衆に好意的に受け入れられるようになった社会風潮の変化が考えられます。
 それでも、自ら述べるのと権力配下の者に言わせるのでは全く異なるはずです。実は前述の卒園式は、学習指導要領の改訂や道徳の教科化とも関係している動きで、それは忠君愛国思想と親和性の高い「二分の一成人式」の広がりにも表れています。春の研修合宿で大勢の中学生から大学生に尋ねたら、少なく見積もっても7〜8割が小4時にその式を経験していました。
 そこでは、ご飯もろくに作ってもらえない子も自分の意見を微塵も聞いてもらえない子も、親への感謝を強いられるのです。ある高校生は「病気の時に看病してもらえず辛かったのに、呼びかけの台詞割りで『看病してくれてありがとう』と無理に言わされたのが、今でも嫌な思い出だ」と書いてきました。日頃から「あなたを産まねばならなかったために私の人生が台無しになった」と同然の言動を受けてきた人は、残念ながら珍しくありません。
 果たして親業の苦労は子どもに感謝させて報われるものでしょうか。犬の存在に気づいて指を差し、声を上げ、立ち上がり、歩き、走り、誰かと一緒に何かできて、そのたびに「あー、大きくなったんだなぁ」と喜びを味わえば十分ではないでしょうか。
あやざきゆきお=会代表
[機関紙『くさぶえ』 17年10月号掲載]
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