あしたのむこうがわ <80>
より多くの「みんな」の機会均等と、落とし穴
綾崎幸生

 よく利用する大手私鉄で数年前から、急行が各駅停車を待つという、従来は考えられないダイヤ運行がされています。複々線区間においても、その逆で普通列車が優等列車を待つパターンがあるのです。速達性よりも、各停しか止まらないマイナー駅の利用者への利便を優先した、鉄道会社としては大きな方針転換だと思いますし、同時に、なるべく立ったまま待たせる客を減らす方策でもあるのでしょう。
 実は私は「急行の価値を下げて一体どうする」と疑問なのですが、急かされずに育った「ゆとり世代」や、時間に余裕のある高齢者に対応しているだけでなく、大袈裟に言えば、より多くの「みんな」に公平な機会均等を図っている点では評価せざるを得ません。
 かつて流行した交通標語「狭い日本そんなに急いでどこへ行く」から40余年を経て、ようやく実質的に社会がこの選択を受け入れるようになったのかも知れません。
 この秋、あるダンスサークルのステージカメラマンを引き受け、文化祭に出かけました。客席の中央で高さ40cmの撮影台に乗っただけなのに見える世界が異なり、観客の興奮の渦中にいながら、レンズを通して演者の息づかいまで感じられます。
 ダンス系の課外活動は以前に比べて非常に盛んに行われているようで、まるでアイドル並みの熱狂に包まれた男性チアリーディング他、いくつかの公演を立て続けに見てきました。彼らの挨拶やトークで気付くのは、仲間への思いやりや互いの支え合い、そしてそれらを舞台裏にしまっておかず前面に打ち出しても、聴衆が自然に受け入れることです。
 思えば、サッカーやバレーボールなどと違い、レギュラー枠が決まっていないため、部員として一応練習に出ていれば、どこかのチームに組み込まれて、必ず壇上で踊ることができます。いくら「全員野球」と謳っても、技術が相対的に優る限られた少人数のメンバーしか試合に出られなければ、控え選手が活動を支える面は確かにあるにせよ、本番で全員の能力を発揮することは不可能です。
 合唱や吹奏楽、演劇などにも全員出場の魅力があります。弱肉強食的なポジション争いではなく、底辺をどう押し上げるかをみんなで考える点で、子ども会のリーダー活動に重なります。あるアカペラサークルに音痴の学生がやってきた時に入会を断るのではなく、ボイスパーカッションという一翼を担わせて成功した話は身近にあり、キャンプでも歌詞コールや楽器演奏は必要とされる役割です。
 さて、人生に少なからぬ経験的影響を与えるであろう学校のクラブ活動において、(チームスポーツを含め)公平性は大変重要ですが、全員出場制には「お互いにきちんと踏み込み合わなければ活動の質は間違いなく低下する」という、落とし穴があります。
 短文メールやSNSの普及と共に、何でも気軽に「いいね」を押し合って批判できない姿はもはや風潮でもネット上だけのことでもなく、若年層の標準行動。そこで、例えばパフォーマンスが低い原因を個人に帰さず、「あなたの問題」として全構成員に投げることで、対等関係を確保した、より価値の高い全員参加にしていきたいものです。
あやざきゆきお=会代表
[機関紙『くさぶえ』 16年12月号掲載]
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