あしたのむこうがわ <79>
「誰が養っているのか圧力」が損なう自立
綾崎幸生

 かつての当会参加者、海老原宏美さんらを描いた映画「風は生きよという」は各地で自主上映会が開かれ続けており、10月には11か所で開催されるとのこと。先日は、下関市の上映会にまで「アルプス子ども会からのプリントで知った」という親子が来てくださり感激したと、当の海老原さんから連絡をいただきました。
 先天性筋萎縮症で肢体不自由障害者の彼女は、子どもの頃から母親に「自分が助けてもらえないのは自分が本気で助けを求めていないからではないのか」と、あらゆる場面で自分の態度に向き合うように叩き込まれたそうです。
 多くの大学では、もはや入学式に親が出席するのが当たり前とされ、私立も国公立も、ハイカラもバンカラも、成績表を保護者に送付するのが「普通」になりつつあるようです。学生全員が成人している大学院でさえ、既に保護者ではあり得ない親と学生双方の了解があれば実家に成績表を送る所があります。親に成績を見て欲しい学生にも、院生の学業に関心のある親にも、自立について掘り下げて考えて欲しいものですし、果たして何%の学生の成績表が親に送られているのか心配になります。
 我が子に単位取得状況を訊いても拒まれたり嘘をつかれたりすることは往々にしてある訳ですが、それも含め大人である学生の自由裁量であり、いざ問題が生じそうな時に親が学校の力に頼った所でどうなるでしょう。親子が向き合う機会を失うだけではありませんか。
 上記大学院では親が開示を求めた時に学生の同意が必須ですが、それは法律上も当然過ぎることで、いくら未成年者であっても現に信書・通信の秘密が守られねばならないのと同様、本来、学生の個人情報を勝手に保護者に開示して良いはずがありません。いえ、正確には個人情報保護との兼ね合いで、大学は入学の際に保護者への成績告知を承諾させているため「勝手に」ではありませんが、条件を飲まねば入学できないので、事実上の強制です。しかも、親への告知を望まない学生について、学費を自ら稼いでいるなど特別な事情があるかどうかを大学側が審査する有様で、私には常軌を逸しているとしか思えません。
 そうして、出資者への説明責任を果たすべきだという理屈が「子ども扱いするのはよそう派」を抑えているのです。これは、晴れ着のスポンサーに見せるためにと、近年「新成人の集い」に家族席が設けられ始めたことに重なります。「これからは保護者がいなくなる」独立記念の式だというのに、感心しません。
 しかし、夫が専業主婦に向かって「一体誰のお陰で食ってるんだ」と言ったら最悪のパワハラであることが常識の21世紀において、「学費を出しているから親の望みを叶える」のでは愚の骨頂です。それでなくても空気を読む癖がつき親の気持ちを忖度して行動しがちな若者が「金を出しているのは誰だ」を持ち出されたら、もう自分で考えたり責任を引き受けたりしたくなくなるのは自明で、当面は親の望み通り生きれば厄介もなく、何もかも親のせいで済ませ、精神的自立は遠のくばかりでしょう。
 親に背いてでも自らの望み通り生きることが親の幸せだと信じられるように、我が子の自己決定を尊重した、親の都合によらない支援が自立心を養うと考えます。
あやざきゆきお=会代表
[機関紙『くさぶえ』 16年10月号掲載]
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