あしたのむこうがわ <76>
民主主義とは何かを学び直す機会に
綾崎幸生

 私たちが大切にしている「話し合いの手続き」について、世の中の動きや状況と会活動がどう結びつくのでしょうか。前回に引き続き、子どもたちに接するうえで、リーダー同士がどのように関わるべきかを軸に考えます。
 毎年秋にリーダーサークルで各地区代表者を決める選挙を行います。その運営を、大半が民主主義をほとんど学んできていない今の学生に任せただけにしていると、往々にして総会欠席者の期日前投票を設定しなかったり、立候補者の所信表明を省いたりと、選挙としての質が下がってしまいます。下手をすると投票ではなく挙手による採決となりますが、当然ながら、紙票を投じるのと手を挙げるのとでは候補者も有権者も責任感がまるで違うはずです。
 ちなみに、小学生の時に学級会などでみんなが机に伏せ挙手で決め事をしたことがある人が非常に多いようですが、これなど(その際に児童・生徒から選挙管理者を置いた場合を除き)、投票結果は往々にして担任の好き勝手にされている、もしくはそう思われても仕方のない行為です。時間節約のための無記名投票簡易版なのだとしたら、目を閉じさせれば良いだけですが、薄目を開ける子がいて嘘がバレてしまうので伏せさせる訳です。こうした手続きは人を信じるか否かではなく、制度の問題にしなければならないので、民主主義をきちんと知っている教師は複数の選挙管理児に承認を求めるのです。
 さて、サークル代表者がただのお飾り的存在なのだとしたら、低質の選ばれ方でも構いません。しかし、選挙の民主度は構成メンバーのその後の主体性や動機付けに大きく関わり、次の一年間の活動内容に直結することが解っています。きちんと選んだ以上はそれなりにしっかり行動してもらいたくなり、きちんと選ばれればそれだけしっかり行動したくなり、そしてそれぞれ、選んだ責任と選ばれた責任を果たそうとします。
 それは少し考えれば当たり前ですが、一般に見過ごされがちのことではないでしょうか。
 リーダーも自分たちの代表を選ぶ際に、実績や公約でなく、その日の演説の出来やルックスを優先して投票する嫌いがあり、活動の勢いに自ら水を差してしまう失敗も見られます。
 そうやって経験を重ねて、より民主的な手続きを学び、子どもたちを顔伏せで挙手させないようにしなければなりません。そもそも、少人数の班では誰がどのような意見を持っているかを共有したうえで話し合えば、多数決に頼る必要はさほどないのです。
 昨今、巷で政治的テーマを持ち出すことをタブー視する風潮が一般的で、特に若者の多くは社会問題を話すこと自体に慣れていません。
 安保法制も当初リーダー間ではタブーに近い雰囲気がありましたが、彼らの将来に密接する問題であるため、多くの人が行動に出ていました。中には話題の「SEALDs」の中心で動いている人、周囲で支えている人がおり、また逆に彼らを批判する人もいます。
 私たちはこの状況を、お互いを尊重しつつ多様な意見を聞き、自ら考え、影響を与え合い、さらに考える力を高めながら、民主主義とは何かを学び直す絶好の機会と捉えています。
あやざきゆきお=会代表
[機関紙『くさぶえ』 15年12月号掲載]
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