あしたのむこうがわ <75>
今、憲法を守る姿勢が「中立の立場」ではないのか
綾崎幸生

 アルプス子ども会では理念「めざすこと」の中で、話し合いの手続きをいかに大切にするかという視点を重視していることを謳っています。今回の安保法制問題を巡って、それと正反対の動きがなされたことは残念の極みです。国政とローカルな民間活動とは一見、話はまるで違うようですが、実は深く関係しています。
 ご承知の通り、この法律に対しては、憲法学者の99%以上が違憲もしくは違憲の疑いを指摘している他、保守的で知られる元最高裁長官や歴代の内閣法制局長官が違憲と判断しています。その法律が「違憲ではない」と言うのでは、あまりに自分勝手な解釈だと批判せざるを得ません。長年日本の政治を担ってきた自民党の大物OBたちがこぞって反対の声を上げているのも周知の事実で、最近も岩手県議会が安全保障関連法の強行採決に抗議し廃止を求める意見書を可決しました。
 そんな状況で、安保法制に反対することが果たして「一方の立場からの政治的主張」でしょうか。集団的自衛権行使の是非や武力によって保たれる平和の正当性について論じるのではありません。「他国で武力を行使してでも日本の平和を保つべきだ、そのために米国を核とする同盟を強化し集団的自衛権を行使すべきだ、それが抑止力になり全体として安全になる、だから戦争法案というのは言いがかりであり平和法案なのだ」と主張する人であろうとも、「法律の王様」に違反する可能性が高い立法を見逃すべきではないはずです。
 権力を縛るために存在する憲法を権力者が守らない政治がまかり通れば、公共の福祉の名の下に、基本的人権を容易に制約できるようになるとの法学者の指摘にもうなずけます。
 これほどの重大事について、看過することが「中立」とは言えないと考えます。ヒトラーに対抗したことは反中立だったのでしょうか。太平洋戦争中に日本で中立の立場でいたことは、侵略戦争の遂行協力に他ならなかったではありませんか。ネット上に見られる中立意見の解説などは、その辺りの視点に欠けると思います。
 憲法は自らを国会議員と公務員に「尊重し擁護する義務」を負わせているうえに、第12条で「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」と規定しています。今、最高法規を守れと叫ぶことこそが本当の中立的立場なのではないでしょうか。実際に、政治的中立を掲げながら、抗議声明を出した団体は全国に多数あります。私が属し、さまざまな政治的立場の人がいる(公財)日本自然保護協会でも「緊急声明」を発表しました。
 では、どこで子ども会に関係するのか。子どもよりも知力や技術で優るリーダーが、安全確保や生活支援の場面で「大人がいる意味」を発揮しながらも、子どもと対等の立場で同じ班や組を作っていくためには、あくまでも民主的な態度や、多様なものの見方が欠かせません。乱暴な嫌われっ子がいたとして、その子の立場にもなれることが求められます。経験豊富な年長者に対しても言うべきことは言えなければいけません。そうした力を身につけるためには、会が「めざすこと」で掲げる民主主義をきちんと理解して、守る姿勢が必要なのです。
あやざきゆきお=会代表
[機関紙『くさぶえ』 15年10月号掲載]
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