あしたのむこうがわ <72>
小遣いにも見える、子どもの自由度の低下
綾崎幸生

 この夏、各組の開会式で、「ふだんは朝から晩まで家の人から、早く起きなさい、顔洗ったの、ご飯食べなさい、忘れ物は無いか、行ってらっしゃい、お帰りなさい、プリント出して、宿題は、お風呂入って……と言われている人がいると思うが、ここではそう言ってくれる人がいないので、自分たちで生活をつくらねばならない」という話を子どもたちにしました。それを、なるほど顔で聞いている子が多い中、『せせらぎ村』のある組では「わーい!」と大きな歓声が広がったのでした。
 参加経験がある方への「夏の子ども会」案内書送付状で、私は「不自由な子どもたち」について触れましたが、やはりそれを実感している子も少なくないのです。確かに、この会に参加する子の大多数は、衣食住学に何不自由のない日々を過ごしていると感じられますが、自分で考え、決めて、行動する自由は果たしてどの程度保障されているでしょうか。一例として小遣いについて取り上げます。
 会ではお土産代としての小遣い上限額を30年以上変えずに、3,000円としてきましたが、実は、持参平均額はその間にどんどん下がっています。無論、参加者が多少低年齢化していることや、モノが豊かになっていることを考慮する必要がありますし、子どもたちの交友関係が狭まっているためにお土産を渡す人が減った事情も影響しているでしょう。かつては学校や近所の友だちにお土産をいくつも買って帰る子が多かったのです。
 それでも、物価が総じて概ね1.5倍以上になっていることをふまえれば、子どもたちに与えられた裁量が狭まっていることが解ります。
 ちなみに、私の40年前の2泊3日京都・奈良修学旅行の小遣いが6,500円まででした。皆の議論で決めたのと半端だったので正確に記憶しているのですが、中学3年生に決定を委ねたこと自体、一般公立校が自由だった証です。
 さて、口を差し挟みにくい家庭の方針の問題なのですが、私の限られた周囲の様子では、どうやら小遣いを月額制でもらっている中高生が減っていると思われることも気がかりです。
 定額制でない場合、多くは都度相談もしくは都度事後請求になる訳ですが、大方は結局の所、子どもの自由意志が反映されにくく、あるいはお金の使い放題という、一見羨ましくも実際には自己決定の機会が損なわれている状態が生じやすいと考えられます。これは「誰と買い物に行くか問題」とも密接に関係し、どの店に行くかから親の好みに左右され、ましてや衣服などについては価格との兼ね合いも含め親が口出しをしがちなため、子が全てを自らの責任で決められなくなるのが難点です。
 親は、子どもの消費に対して意見を伝えること自体が既に子の自由を(一部であっても)奪う可能性に気づかねばなりません。特に駒ヶ根など、車でないと買い物に出づらい地方では、高校生のアルバイトを親が問い合わせ、面接にも親が付き添うような悪習を生んでいる遠因とも考えられ、子どもの年齢が上がるにつれて強く意識する必要があると思います。
 親としての意思を伝えることはもちろん大切ですが、時には無駄遣いや失敗をさせる余裕を持って、子どもが自立する力をつけて行きたいものです。
あやざきゆきお=会代表
[機関紙『くさぶえ』 14年10月号掲載]
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