あしたのむこうがわ <70>
生徒への縛りを強めるだけの「人物本位」選考
綾崎幸生

 リーダーの研修会で、ある大学に出向いたところ、やけに学生の保護者世代の人が多いと思ったら、その日はオープンキャンパスで、受験生に付いて来ている親の多さに驚きました。大学の入学式に少なからぬ学生の親が出席することへの疑問を小欄に書いてから二年経ちましたが、なるほど、昨今は高額商品の購入前には支出者が下見をする時代なのでしょう。私は今54歳ですが、高校受験時でさえ学校見学に親と行くなんて、(自立していないという意味で)はばかられた時代でした。
 そもそも、早く受験に目を向けさせるために、生徒を1、2年の頃からこの手の公開イベントに参加させたがる高校が増えているようですが、よそ行き衣装に包まれた休日や夏休みのオープンキャンパスに行ったところで、一体その大学の何が解ると言うのでしょうか。誰が誰の何のために通う学校なのかを生徒自身に問わせるために、親も教師も原点に立ち返る必要があるのではないでしょうか。
 先月、首相直轄の「教育再生実行会議」が、大学入試における新しい選抜方法の提言を行いました。これまでも、新旧中教審、臨教審、教育改革国民会議などが教育施策を打ち出してきましたが、今回は高校在学中に複数回の達成度テストを導入するという、看過できない内容を含んでいます。しかも、会議名にある「再生」が問題にする中身が「校内暴力、学級崩壊、凶悪な青少年犯罪の続発」で「このままでは社会が立ちゆかなくなる」などと、減少している事実を無視したアナクロの極みであるうえ、早ければ5年後の導入を目指して「実行」しようというものです。近年の推薦入試拡大の失敗にも懲りていません。
 達成度テストの結果が選抜に直接影響した例では神奈川県のアチーブメントテストが有名ですが、さまざまな理由から15年以上前に廃止されています。想像に難くないのは、ふだんから長期間にわたって自らを勉強に鼓舞することができたり、あるいは大人に言われるがままハイハイと従順に勉強できる人が有利であろうことであり、今でさえ入学後すぐに大学受験を意識させられる高校が多いのに、さらに普段から「入試のための学習」が強いられることは火を見るよりも明らかです。
 いえ、決して強いませんと伝えたところで、いつも同調圧力を強く感じてビミョーな空気を読みながら何とか過ごしている今の生徒にとって、(一時期のような細かい校則の多くは姿を消したとは言え)生活へのさまざまな縛り=管理は結果的に強まります。
 これでは、短期集中で思わぬ力を発揮する人や同調を嫌って独創的な発想や行動をする人、真に少数弱者の立場になって問題を解決しようとする人など、社会が求める人材の発掘は困難でしょう。
 さらには、人物評価の対象となる課外活動等においても、目的が入試のためであれば単なる点数稼ぎが正当化されます。当会にも教員採用試験に有利という理由だけでリーダーを志望してくる者が稀にいますが、二日間かけた研修でもそれを見破るのは難しいことです。
 本来、入学式をサボる自由があって、出るか否かから自分の頭で考える場所が大学であってほしいと思います。

お詫び 教育施策の一部に私の混同があり、事実と異なる認識で表現した部分がありますが、印刷物のまま掲載しています。申し訳ございません。
あやざきゆきお=会代表
[機関紙『くさぶえ』 13年12月号掲載]
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