あしたのむこうがわ <68>
「できないこと」をあざ笑う心が生むいじめ
綾崎幸生

 「弱いたちばの友だちや同級生をいじめるのは、はずかしいこと。仲間といっしょに友だちをいじめるのは、ひきょうなこと」で始まる『未来のある君たちへ』と題したプリントが私の手許にあります。これは昨秋来のいじめ問題に際して出されたものではなく、7年前に今回同様の自殺が社会問題化したために、全国のみならず在外日本人学校の小中学生にまで配られた、伊吹文部科学大臣からの「お願い」です。それから文科相は十人も代わりましたが、またまたまたしても「いじめ自殺問題」は本質的に何も変わらないまま、当事者以外にとっては大問題にならずに消散しようとしています。
 前回、教員暴力について、それを支持する大衆があるから無くならないと書き、最近の日本高校野球連盟の調査でも依然として1割もの指導者が体罰を肯定していると報じられましたが、いじめについても同じことが言えます。
 関東地方を中心に放映されているテレビ番組の中に、街頭やリゾートで一般の若い女性に料理を作らせるコーナーがあります。ご覧になったことがある方はご承知の通り、それは料理の出来映えや味を競うものでは決してなく、無知な彼女らが無茶苦茶な調理を行う姿やその非常識ぶりを、視聴者が喜ぶという趣向なのです。
 私は結婚当初にこれを見て、確かに面白かった覚えがありますが、四半世紀を経て目にした時、いろいろな面で進歩したはずの社会で今もこんなものが続いているのかと驚き、非常に気分を害しました。他者への蔑みを当然視する企画がこれほど長期間続いている、つまりは大勢が支持しているとなると、もはや面白いで済む話とは思えません。知らずの内に相当な人に「(できない奴や常識の無い奴は)いじめても良いのだ」という気持ち、少なくとも「いじめられても仕方ないのだ」という気分を、無意識の中に埋め込んでいるのではないかと危惧します。
 また、中学・高校の家庭科が男女共修化されて20年も経つというのに、あるいはベテラン主婦だって果たしてどの程度正しく調理できるか疑問なのに、若い女性だけをターゲットにしているのは、発想や反応が豊かだからといった放送局の理屈があったとしても、見る側が優越感を得やすい=いじめやすい対象だからに他ならないでしょう。
 私たちの心の底にある、こうした他人をおとしめて自分の位置を守ろうとする感情や内なる差別心は、生活のさまざまな場面に顔を出します。仕事の出来ない人や物事を知らない人、遅い人や失敗した人に対して、どれだけ対等性を保ちながら、正当な叱責や指導をすることができるか、自身が問われます。
 さて、いじめの温床を助長している身近な例では、「いじめは良くない」と訴えている文科省自体を問わねばなりません。政府が「強制しない」と明言したにも関わらず、思想信条の理由で国旗国歌を拒む教員が乱暴に処分され続けていますし、異質な者を排除し同質化を迫ることで悪名高い「心のノート」は、政権再交代で復活しています。これでは、冒頭のプリント末尾に書かれた「話せば楽になるからね。きっとみんなが助けてくれる」状況が生じにくくなるのは当然です。
あやざきゆきお=会代表
[機関紙『くさぶえ』 13年7月号掲載]
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