あしたのむこうがわ <65>
伝えるのが難しい、子ども本来の集団遊び
綾崎幸生

 相次いだ党首選挙はご承知の通り、片や圧勝、他方は決選で党員票の意志が覆されるという結果でしたが、アルプスには「源平合戦」という、紅白二チームに分かれて雌雄を決する野外ゲームの時間があります。
 その「源平合戦」について、今年も非常に多くの回答をいただいたアンケートの中で、ある子どもが「つまらなかった。負けてスイカを食べられなかったから」と書いてきました。勝ったチームのみにスイカの賞品を用意しているため(負けた方は麦茶のみ)ですが、負けてスイカを食べられなかったからとは言え、「つまらなかった」のでは、完全に運営者の敗北です。
 本来、「最後は負けて悔しかったけど、面白かった」と言ってもらえる、非常に盛り上がる時間作りをめざしていますし、スイカはそのための小仕掛けに過ぎないのですから。単に言葉が拙いために「悔しい」が「つまらない」になっただけなら構いませんが、私はその文面から、彼にはその時間全体が面白くなかったのだと感じます。
 そもそも、子どもたちの遊びというものは、どうすればその場がより楽しくなるかを考え、それには仲間の力をどう生かすか、ルールをどう変えるかなどの工夫を重ねるものでした。力量の均衡化を図るべく、いわゆる「取り取り」をしたり弱い方のチームに「おみそ(おまめ)」を入れたりして、ワンサイドゲームにならないように盛り上げます。
 その程度のことは、旧ソ連の発達心理学者ヴィゴツキーの有名な研究を引くまでもなく、集団遊び経験が豊かな人(概ね40歳以上の人にはそれは決して「豊か」ではなく「普通」でしょう)ならば体得してきたはずのことです。
 「源平」は大人数が一緒に走り回る、スケールの大きい豪快なゲームですが、日常関わりのない子どもたちを無作為にチーム分けをした際にはどうしても力の差が出がちです。それでも、得点差が大きくなると、勝っている方は自然と無意識に力を抜いてしまい、負けている方は追いつこうと必死になるものです。差が縮まらないようなら、優勢チームのリーダーは居るだけでほぼ働かず、劣勢リーダーは二倍走り、なおも挽回できなければ、勝っている方のチームから有力リーダーが相手方に移籍するなどして、拮抗を生み出す。それも隠れてやるのではなく、子どもたちにきちんと「僕ら勝ちすぎたらつまらないだろう?それに大人がいなくても君らの力だけで勝てるんじゃないか」と言えば、皆納得します。
 そうして勝利至上主義では決してなく、接戦を必死に制したチームだからこそ得られるのが、大人がゲームでちょっとした何かを賭けるのとは違う、あのスイカの味なのです。
 ところが、新しい世代のリーダーたちにとっては「子どもの遊びに、途中のメンバー組み替えなんか、当たり前」ではなくなっていたのでした。当然の帰結として、かつてめったに無かった大差試合が増えていることも明らかになりました。集団遊びの経験がますます希薄になる中、「本来の子どもの遊びとはこういうものだ」という理解を得るのが難しくなっている昨今、(それも遊びに限りませんが)現場で具体的に伝える努力を怠ってはいけないことを痛感させられた夏でした。
あやざきゆきお=会代表
[機関紙『くさぶえ』 12年10月号掲載]
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