あしたのむこうがわ <62>
忘れ物・無くし物が激増した裏側に
綾崎幸生

 かつて国鉄(現JR)の初乗り運賃が30円だったころ、自転車は3万円くらいしました。今、初乗り130円に対して安い自転車は1〜1.5万円ほどで買えます。価格差は1000倍から100倍へと、単純に自転車から見れば、実に十分の一に下がった訳です。ご承知の通りこのような例はいくらでもあり、庶民の間でも物が壊れたら直すよりも買うという行動様式が定着しつつあります。無駄遣いが経済を活性化させている時代の流れに伴う生活の変化であり、大きくは抗いようのないことなのでしょうが、その良し悪しをさておき、人々が物を大切にしない傾向がますます強まっているのは間違いないでしょう。
 ここ5年間に、「夏の子ども会」終了後に残される忘れ物・落とし物の数が急増しています。私どもの呼びかけに応じて持ち物に記名くださるようになってきたこともあり、今回は過去最多の250名に落とし物を後送しました。無論、所有物を持たせて帰せなかった責任は最終的には当方にある故の行為ですが、それ以上に、紛失主不明物品が段ボール何箱も残ります。
 若いリーダーの生活力や気づきの力が低下したために、落とし物を多く出してしまうのかも知れません。しかし、今は以前よりもはるかに大きな時間と注意喚起を以て「忘れ物撲滅」に取り組んでいるのです。一体、増える一方の遺留物をどう理解すれば良いのでしょう。期間中、子ども自身が物が無いことに気づかない(したがって「無い」という訴えも無い)、気づいても日頃から物に執着していないので放置する、そもそも自分の持ち物がどんな色や形だったのか認識していないなどが考えられ、その部屋を使っている面々に逐一尋ねても、品が自分の物か否か首を傾げる子がままいます。
 それらの当然の帰結ですが、特に厄介なのは、他の子の持ち物を過って持ち帰る例も増えていると想像されることです。
 リーダーが全ての子の全ての持ち物を把握することなど不可能ですので、生活支援が必要な子を除き、基本的に班担当リーダーは子どもに「詰めて」と頼まれた物以外は自らの手でかばんに入れません。そして、帰る前夜と当日の朝に「自分の持ち物以外の物がかばんに入っていないか」を必ず確認するように言葉がけをする手順を取っています。
 にもかかわらず、「ウチのではない物が入っていた」との連絡が、ここ数年急増しているのです。十年前、初めてこの電話を受けた時は最初意味が解らず、次いで軽いショックを受けました。それまでは「申し訳ないことにウチの子が過ってヨソのお子さんの物を持ち帰ってしまった、送りたいので住所を教えて欲しい」という電話が当たり前だったからです。それが、ついにこの夏、前者が後者の数を上回り、さらに「どうすれば良いか」としばしば尋ねられるようになりました。正直申して唖然、どうすればも何も他人の物を返すのは幼稚園生でも解るだろうと思いきや、若い親の中には、使い捨て社会では送るより買う方が安いじゃないかという意識が根底にあるのではないかと気づき、世代のギャップに戸惑っています。
 なお、こうした風潮は、無意識に自己責任を曖昧にする「させていただきます」「〜の方になります」といった表現とも深く絡む、憂慮すべきことだと思います。
あやざきゆきお=会代表
[機関紙『くさぶえ』 11年12月号掲載]
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