あしたのむこうがわ <61>
いつまでも生徒を子ども扱いする状況の広がり
綾崎幸生

 「お婆ちゃんがカラオケボックスに行ったことがないって言うから連れて行こう」と、孫である次女の発案で、(日が固定されなくなって重みを失った)敬老の日に家族で出かけました。
 私が久しぶりに日本語版マイ・ウェイを熱唱したところ、「布施明よりも上手い、感動した」とのたまう老婆即ち母。妻子は絶句し、究極の親バカを目の当たりにした次第です。息子が何歳になろうと親は親、ある意味子どもを徹底的にダメにする存在であることをこの年になってなお、再認識させられました。
 大学の入学式に保護者が同伴することが話題になって久しいですが、私はそれにかなりの違和感を抱いていました。今や参列保護者は入学者の二倍数と聞き、その立場にならないと浮かんでこない感情があるかも知れないと、無理に理解しようともしましたが、長女大学進学の折にも、予想通りこれっぽっちも興味が湧きませんでした。
 しかし、気づけば世の中、入学式どころか学校説明会や常設の学生生活相談会、大学によっては就職活動説明会までが保護者向けに開催されている有様です。予備校でもまるで中学3年生のように「三者面談」をやっているようですし、高校ですら配布プリントを読めば済むことを延々と話される保護者会が後を絶ちません(過去に一人だけ、「印刷物にあることは読んでいただき、それ以外のことを話します」と言う学年主任教諭がいました)。
 確かに、消費者や市民が求めるものを供給するのが企業や役所の務めだという見方は、ドラッカーを引くまでもなく合理的だと思いますが、それは社会全体の利益、この場合は少し狭めて「教育消費者」の成長を勘案したうえで正当化すべきことではないでしょうか。
 さて、先日、次女が文化祭でクラスTシャツを作ることになった際は、担任教師がプリントを配り、担任が集金しました。金銭授受を伴うことだから何か間違いがあったらいけないということですが、小中学生じゃあるまいし、それこそ生徒に主体的にやらせるべきです。間違いの無いように集計したり、枚数を数えたり、買う意志がはっきりしなかった人からは集金しにくいことを体感したり、もしも間違いがあった時にはそれをどうやって解決するのか悩んだり、非常に多くのことを学ぶチャンスのはずです。少なくとも、金融教育と称した授業で会社運営シミュレーションや財テクゲームを扱うよりも、よほど意味のある営みでしょう。
 生きる力を教え育む学校が、しかも「自主自立」を校是に掲げる高校までもが、生徒の失敗を恐れてか少しでも多く教科学習をさせたいからか、せっかくの機会を奪っているのですから、どうかしています。生徒をいつまでも子ども扱いする状況の広がりは、恐らく就職後いつまでも親に携帯の支払いを続けてもらったり結婚して子どもができても実家で小遣いを受け取ったりする風潮に結びついているように見えます。
 ちなみに、前述の文化祭ではあるクラブのステージ発表を、お母さん方が揃いのTシャツを作り盛り上がって客席から応援していました。祭の主人公が誰なのかを考えると、我が子よりも昔のアイドルの親衛隊に走る方がまだ健全なように感じるのですが。
あやざきゆきお=会代表
[機関紙『くさぶえ』 11年10月号掲載]
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