あしたのむこうがわ <59>
支配・被支配から、敬意をもち合う関係へ
綾崎幸生

 春夏冬の長期休みの間にあたる時期はリーダー研修行事が多く開かれます。以前、子ども会の事務局が学生や若年層社会人に対して一方的に行っていた研修会も、現在は受講者の意志や能力を生かして、より大きな成果を得られるように様々な工夫をしています。
 5年ほど前からは、大学の講義や教授が学生に評価されるのと同様に、私が行った研修内容に対して受講者から評価が下されるようになりました。制度の導入当初は、彼らが生まれるずっと前からこの会に携わっている私が中学生からも評価を受けることに、正直、若干の抵抗がありました。しかし、すぐにそれが力を入れて準備しようという大きな動機につながることに気づきました。
 大方はもっともな感想や評価ですし、中にはまじめに話を聴いてくれたのだろうかと首を傾げるものがあっても、それはそれで受講者へのフォローにつなげることができるのです。受講生にとっても良い意味でのプレッシャーになっている訳です。
 世の中あまねく、何事も支配する・されるの関係から、敬意をもって接し合う関係へと変化してきていると実感します。それこそを社会進歩と呼ぶべきものでしょう。性、人種、力の強弱、立場の上下を超えて、多様な生き方を認め合うことは、誰もが生きやすい場を創出します。弱者が暮らしやすい社会は結局のところ強者にとっても心地良い社会になるはずです。
 一部の人々のみにとって住みやすい環境は、一見彼らには都合が良くても、やがては行き詰まり、強者にとっても不利益をもたらすのではないでしょうか。「上から目線」を若者が忌み嫌うのも、そうしたことが共通認識となりつつある表れとも言えるのかも知れません。
 かつて長い間、医師を「お医者様」と崇め奉った時代に、患者が医師を育てる意識は皆無でした。今、病院が集客の方便として「患者様」と呼ぶ姿は、また逆に患者が医師から教わるという姿勢を阻みましょう。
 あるいは、スポーツの指導においても、例えば桑田真澄が「絶対服従からリスペクトの関係」を主張しています。支配・被支配の関係から、互いに尊敬し合える対等な関係をめざす考え方は、専制国家や独裁政権が倒れていくように、もはや後戻りできない時流だと思います。
 しかるに、そんな中、45歳というベテランであるはずの女性教師が受け持ち組の子の親を提訴するという驚くべきニュースが報じられました。もちろん、不法・不当な行為を裁判に訴える権利は誰にもありますが、双方にとって何という不幸でしょう。私が特に問題視するのは、報道によると「モンスターペアレンツに学校や教師が負けないように(この)教師が全ての教員を代表して訴訟を行っている」と、その学校が表明していることに尽きます。
 そもそも「モンスターペアレンツ」は何者で、誰が生み出してしまっているのか。私がクレーマーである(やも知れぬ)保護者の問題ではないと確信するのは、「全ての教員が負けないように」と教師と保護者を対立構造でしか捉えていないからです。
 「先生」は特に偉い存在ではなく、保護者(時に児童)と支え守り合う立場なのだと早く気付いて欲しいものです。
あやざきゆきお=会代表
[機関紙『くさぶえ』 11年3月号掲載]
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