あしたのむこうがわ <57>
子の意見を聞くことと親の意志を示すこと
綾崎幸生

 前回、「子どもの視点で子育てを」と訴えましたが、それは当然ながら大人としての判断が前提となるわけで、そういう意味では「大人の責任で、子どもの視点に立った子育てを」ということになります。しかし、子どもの要求を尊重することと言いなりになることの区別がついていないのではないかと思われる状況が、まま見受けられます。
 親が仕事を終えて保育園に迎えに来た時に子どもが遊んでいると、我が子の意志を優先しているつもりなのかどうか、「ほら、帰るよ」と言わずになかなか帰らない親子がいると聞きます。何かの遊びに夢中になっているのならば解りますが、そうではなく、親が降園の意志を示さないだけなのに、帰れないのをだらだらとしている子どものせいにしてしまうのです。
 我が子には私立の方が合っているからと、入っていた公立校を辞めさせようとした親が、いざ書類を提出する段になって「本当にいいの?やめるんで良いの?」と子どもに迫った例も聞きました。これも、無意識に自らの責任の一部を子どもに負わせようという気持ちから出ている行動でしょうか。
 これらは特殊な例だと思われるかも知れませんが、少し前に朝日新聞に載った「『ゲーム買って攻撃』どうクリア?」という記事を読み、親としての意思をはっきりと示すのが難しい風潮にあるのだろうと感じました。友だちの多くがゲーム機を持つようになると言われる学齢期に、どうすべきか悩む親たちの困惑が紹介されていますが、「どうクリア」も何も、従来は「ウチはウチ、ヨソはヨソ」「ダメなものはダメ」で済ませできたことがらのはずです。
 「子どもの権利を尊重しよう」と子ども会で標榜しておきながら「ダメなものはダメ」とは、矛盾しているように見えますが、かつてのように子どもの意見も聞かずに親の一存で動かせと言っているのではありません。そこは子どもの意見表明の機会を大切にしつつ、大人としての意志を、理由を示したうえで毅然と伝えれば良いのです。聞く耳を持つことと子どもに迎合することは違います。子どもに限らず、自分の意見が通らなかったとしても、意見を聞いてもらえたか否かは大きな違いです。
 また、そもそも親の意志がはっきりしないことにも問題がうかがえます。
 いわゆるゲーム機を「うちの子だけ持っていないと仲間に入れてもらえないのでは」「みんな持っているらしい」などといった不安は確かによぎるでしょう。しかし、多様であるはずの周囲に思いが及べば、「買い与えたくないと思っている親がうちだけ」な訳がありません。“みんな”の割合も怪しい。「ゲーム機依存になったら困る」「ゲームするだけ外で遊ぶ時間は減る」という考えを持った親たちがいることを念頭に、トータルで何が我が子のためになるかを親の責任で決定することが肝要だと思います。
 もちろん、私はゲーム機を与えること自体が悪いと論じているのではありません。ただ、親がすでにゲーム機世代となってきている近年、子どもに向き合うことが苦手だったり、子どもの求めと親の意思をうまく擦り合わせられなかったりする人が増えていることは、子どものころからの遊びの変質と無関係だとはとても思えないのです。
あやざきゆきお=会代表
[機関紙『くさぶえ』 10年7月号掲載]
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