あしたのむこうがわ <55>
文字や言葉が軽視されて起きること
綾崎幸生

 この夏にデビューする新人中高生リーダー募集の季節になりました。今回もやる気溢れる中学生らが応募してくれましたが、応募の際に不備がある子の割合が、近年非常に高くなっています。折しも、エコポイントの申請に不備のあるものが大変多いと報じられました。
 確かにエコポイントは解りにくく、ふだん書類に縁が無い人たちには難しい点があって、工夫が求められるでしょう。しかし、中高生募集のそれは今も30年前も大差なく、言わば定点観測ができています。いえ、応募資料を見比べれば間違いなく理解しやすくなっていますので、本来不備は減らねばならないはずです。
 例えば応募時に、「自分の宛名を書き80円切手を貼った長形4号封筒」を同封することにしています。長形4号がどんな封筒か判らなくても、家や学校で聞くとか文具店で(見知らぬ)店員に尋ねるなどの行動を含めた教育的意図がある訳ですが、かつてせいぜい1〜2割だった入れ忘れが、今では半数以上に達しています。
 そもそも、「入れ忘れた」のとは違います。「熟読して申し込む」ことを以前よりも強く訴えていても、本人はよく読んだ気になっているだけで、内容を理解していないのです。無論、国語が苦手な子や理解力の低い子は一定数いて、彼らにはそれなりの手を差しのべます。が、半数以上となると、尋常ではありません。
 原因はどこにあるのでしょうか。今ならインターネットですぐに調べられるため「長形4号封筒」の重みが失われた点はあるでしょう。昔は大変だった分、そこに向かうエネルギーを多く要し、きちんと事に当たったのです。さらに、どんどん届きどんどん発する電子(特に中高生の多くは携帯)メールの軽さが、ここまで文字の地位を低くしているのでしょう。
 また、社会のさまざまな点で、予防的に気を回し過ぎた方向に変化していることも見逃せません。私が中学生の頃、定期考査の範囲は口頭で発表され、聞き逃さないように皆集中して書き留めました。その後、きちんと聞けなかったり書けなかったりする子が多いとの理由で、一覧表にして配る学校が増えました。実際にそれで学習効果が上がったのでしょうが、こうした手取り足取り行為がますます生徒の力を奪ってしまったことは想像に難くありません。
 世の中、便利になればなるほど、ささいな不便が重く感じられるのと似ていると思いますが、とにかく「書かれていることをきちんと読まない癖」は社会が「先回り」するに従い、広く深く蔓延しているように思われます。
 さて、言葉の問題は単に「書かれたことがきちんとできない」に止まらず、行動にも表れます。不備のあった中学生に後から封筒を送らせた際に一言添えて来る場合は少なく、多くはあっけらかんとしています。彼らの心の中には「失敗した」という思いはあるようですが、それを敢えて何事も無かったかのような態度でやり過ごすのが今時の若者の風潮です。
 元来、言葉が無くても気持ちが通じるなどというのは、濃密な人間関係や同質社会内のことであり、多様化した社会、ましてや異質なものや少数を大切にしようとするこの会では通用しません。リーダーたちにまず求めるのは、メタ言語ではなく、まさにベタ言語なのです。
あやざきゆきお=会代表
[機関紙『くさぶえ』 10年1月号掲載]
[バックナンバーリストへ]   [コラムトップへ]