あしたのむこうがわ <53>
弱者・多様性――「多事争論」との交点
綾崎幸生

 私たちがリーダーたちに行っている主な研修会には、年間に三回開く合宿(3〜5日間)と、夏秋冬に日帰りで行う研修会があります。その中で準備と後処理に最も力を割く、中高生を対象にした「春の学校」が今年も近づいてきました。
 この合宿研修は同時に、新人中高生リーダーの登竜門にもなっており、応募者の漸減が長く続いていましたが、今回は反転して、約40名の候補生が意欲的に初参加してくれます。ここで学ぶことの柱には、私たちが掲げる「一人の例外もなく……」という“めざすこと”が当然あり、そこで謳う通り「理想を日常から具体的に実践し、人間的な成長を遂げるため」に
 a)社会的弱者のへの意識
 b)多様な生き方の認め合い
 c)科学的・多面的な物の見方
の三点を伝えます。文字を目にすると堅く感じられましょうが、いずれも生活の中で具体的にもっと大切にされるべき原則だと思います。中高生にとってもふだんないがしろにされている事柄のためか、本質的な理解を得ることは簡単ではありません。
 例えば今、駅のエスカレーターでは急ぎ歩く人のために片側を空けるのが「常識」となり、年寄りや子連れなどの弱者が混雑する側で順番待ちを強いられていますが、この会のリーダーたちはそうしたことを正せるような人であるべきなのです。
 先日開いた冬期研修会では人権週間60周年を機に、「『人権』を軸に考える民主性――差別・平等・公平」というテーマで学びました。身近な人権軽視例を解説し、各自の被差別体験や内なる差別意識に向き合うことを求めましたが、やはりみんなが自分のこととして捉えるのは難しいようで、今後も子ども会の現場で実践的に展開していく必要性を痛感します。
 さて、昨秋亡くなったジャーナリスト筑紫哲也が『多事争論』の最終回「変わらぬもの」の中で、「NEWS23」の“DNA”として次のように述べています。
 「力の強いもの、大きな権力に対する監視の役を果たそうとすること、それから、とかく一つの方向に流れやすいこの国の中で(中略)、少数派であることを恐れないこと、多様な意見や立場をなるだけ登場させることで、この社会に自由の気風を保つこと」
 私はこれを見たとき、会で掲げてきた理念との符合に少し驚きましたが、これこそが民主的なものを推進するのだろうと、改めて納得しました。青臭い表現ですが、物質的にどんなに恵まれようとも「より民主的なもの」を広げない限り社会進歩とは言わないでしょうから。
 筑紫哲也と言えば、国連「子どもの権利条約」批准10年を機に開かれたフォーラム「うたおう 子どもの権利」('04年 朝日新聞社主催)を事務局のメンバーで見に行ったのですが、その時のパネリストの一人が彼でした。
 休憩時間になると喫煙所で、同席者の作家・重松清と談笑するところに、私と同行したTが加わりました。傍観するしかない非喫煙者の私は、この時ほど喫煙者を羨ましいと思ったことはありません。
 別掲の通り、本会創立者の赤羽昭二名誉会長が1月に逝去しました。二人の死を心の片隅に刻み、これからも子どもたちに「民主的なもの」の種を蒔き続けます。
あやざきゆきお=会代表
[機関紙『くさぶえ』 09年3月号掲載]
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