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子どもが微熱で少し休んでいたことを
保護者は知っているべきか、否か
綾崎幸生

 夏のアンケートへは、例年にも比して非常に多くの回答が寄せられました。ことにここ数年、回収率のみならず記述欄に書かれる内容が増えていることからも、私たちに託された期待と責任の重さを痛感させられます。
 それらのメッセージの中で、質的に変化して来ているのが「現地での様子をもっと知りたい」といった要望です。
 元々親の心配は尽きないもので、向こうの天気はどうだろうか、元気でやっているかなどと案じるのは当然です。そして、そんな心配をよそに子どもたちは親の全く知らない世界を経験して帰って来ます。
 アルプスのような場所に我が子を参加させようというほどの親たちでさえ、頭では理解していたつもりでも、実際に見知らぬ所に子を出すことで「他人に子どもを預けるとはどういうことなのか」を学ぶのでしょう。
 ところが、この頃私が危惧するのは、心配と言うよりは、(いつもの生活の延長で)把握していないと気が済まない、というようなタイプの要望が増えていることです。
 そもそも、大きな参加意義の一つに「保護者のいない生活体験」があるわけですから、いくら事後であるとしても、そこでの様子をどこまで伝えるかについて、慎重であるべきではないでしょうか。
 例えば、ある4年生が疲れから熱を出して保健室で数時間寝ていた場合は、どうなのでしょう。その後、快復して活動に戻ったとしたら、休んでいたことを親に知られたくないと思う子は少なくありません。完全にその子のプライバシーですから、それを保護者に知らせるべきだとは言い切れません。
 もちろん、無関心で良いと言っているのでは決してありませんし、子ども会の生活を保護者に隠したい訳でも何でもありませんが、せっかく子どもが獲得した「親の知らない自分の世界」を、大人の都合だけで簡単に崩してはいけないと考えます(一方で、障害があって、様子を話せない子どもたちについてはもっと家庭に伝える努力をすべきではないかと反省しています)。
 秘密を持ったり嘘をついたりすることは子どもの発達過程で極めて大切なことだと言われています。また、中高生になれば望まざると「親の知らない世界」だらけになってしまいます。それでも、幼児や小学校低学年生に対しては、すべてを保護者が把握する風潮が強まっているようです。
 修学旅行でも様子を写したビデオを配布したり、毎日の様子を写してインターネットで速報(その内動画になるかもしれませんね)するキャンプがあったりする中、自然に生じる風潮でしょうが、私たちはバランス感覚を磨きつつ、当面その流れには抗すつもりです。
 奇しくも、今朝も週刊誌の見出しには「就職できない学生の親の共通点=一緒にスーツを選びに行く」とありました。
あやざきゆきお=事務局長
[機関紙『くさぶえ』 01年12月号掲載]
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