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過剰な自己規制が助長する
自分は他人と違っていて良いと思えない心
綾崎幸生

 私が子どものころからある話ですが、男子は小学校生活で一度でも大便をすると、それ以降ずっと"バイキン"呼ばわりされていじめられることがあります。[うんこ=汚い]がなぜか[うんこをした人=汚い人]になってしまい、いじめの標的となる構図です。
 女児しかもたない女親には案外知られていないようですが、用便の際に男児は小用なら決して個室に入らないため、休み時間が終わるころにはクラス中に知れ渡っている(言いふらす奴がいる)という訳です。
 当然の生理現象であるのだぞと、親や教師が低学年のうちからきちんと伝えていれば被害を未然に防げるはずですし、現にそういうところは多いと思います。
 ところが、最近は男の子のみならず、何と女の子もが学校で大便をできない状況にあると聞きます。音や臭いでわかってしまうからできない、というのです。
 しもやけの治癒のために厚い靴下や手袋の着用を医者が勧めても、「校則で禁止されている」、ならば診断書を出すと言っても「内申書に響くのでいやだ」と返される、という医師自身の体験を新聞で読みました。
 いくら「個性の尊重」が叫ばれても、集団生活を営む学校が実質的になかなかそれを認めにくいことは確かにあるでしょう。
 しかし、一斉・同質を求める現状が生み出しているとは言え、往々にして過剰な自己規制が個人の犠牲を一層招いている場合が少なくないのではないでしょうか。
 先の例では、治療のための着用までも禁止しているのか、本当に内申書に響くことがあるのか、疑わしいところです。
 私自身も、子育ての中で「一人ひとりが違って当たり前だ」ということをどうすれば伝えられるのか、難しさを痛感しています。
 いくら私が「他人は他人、自分が好きなようにすれば良い」と進言したつもりでも「だからお父さんは自分がやりたいようにできる人、私はみんなと同じじゃなきゃいやな人」と屁理屈を返され、ときに説教と受け取られる始末。さらば態度で示そう、と行動すれば「いつもよその子の親と違うことして、もう目立たないでほしい」
 思い起こせば、その長子が小学校入学前にランドセルを選ぶときのこと。本人は鮮やかなピンク色を希望したのに、目立ってしまうのではないか、一人だけ赤でないことでいじめられはしないかといった心配から、「今は良くても5、6年生になったら子どもっぽくていやになるのでは」と赤に近い色を強引に勧めて、説得したのでした。
 学校から色指定されているわけでもないのに、自らがまさに「みんなに合わせなさい」と教えていたようなものでした。この手の自己規制は親が気づかないだけで、他にもまだまだあるのかもしれません。
 他人の目を気にしてびくびくする傾向は十代の児童・生徒の間でますます強まっています。ありのままの自分でいられれば心地よいと実感できる場を彼らにもたせることは、大変重要な課題だと考えられます。
あやざきゆきお=事務局長
[機関紙『くさぶえ』 01年4月号掲載]
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