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一見共感できる子育て観にも
少し考えると浮かぶ大きな疑問符
綾崎幸生

 キャンプ場などで、たまに「来たときよりも美しく」といった類いの看板やそれに則った指導をしている人たちの姿を見かけます。
 きれいにすることに越したことはないのですが、元が相当きれいだったときにもっときれいにすることはメンバーや目的によっては困難を伴います。逆に汚かった場合には原状よりもきれいにすれば良いと言う訳でもありません。標語ですので大袈裟に言うつもりはありませんし要は言葉の使い方ではありますが、実際には「来たときよりも……」が絶対的威力を持って用いられた子どもたちが結局「やらされて」いることが多いのです。
 一見もっともで否定しにくいことでも、少し考えると疑問符のつくことは、身の回りに結構あるのではないでしょうか。
 私の住む東京都は「心の東京革命」という何やら怪しげなキャンペーンを展開しています。今月は推進事業の一つである「トライ&チャレンジふれあい月間」として、小中学校で家庭向けにパンフレットが配られました。
 役所嫌いの私はそのタイトルを見ただけで「心の中まで行政に支配されてなるものか」と構えてしまうのですが、中身は「健全で豊かな心をはぐくむ」という抽象的目標をはじめ、幕の内弁当風で、何をどうするとどうなるからどうしてほしいのかが、見えません。
 教育問題というと議論百出で、諸委員の意見をまとめるのに苦労した結果なのかもしれず、また、理解不能なままに放置できないので、調べてみました。
 すると、これがどうして、なかなか良いことが謳われているではありませんか。
 親と大人が責任をもって正義感や倫理観・思いやりの心を育み、人が生きていく上で当然の心得を伝える取り組みであること、子どもたちの現状認識、子を叱る地域の大人がいないことなどなど。今の危機的状況を思えば共感できる内容が多く示されています。
 ところが、この運動の推進協議会設立を機に先月、東京国際フォーラムに4千名もの人を集めて行われた「心の東京革命都民集会」の記念講演でのこと。ある著名言論人は家督という言葉まで持ち出して「父親中心の『家』」を論じています。
 もとより、父親がいなかったり病気だったりする家庭がたくさんあることなど彼女の頭の片隅にもないのでしょうが、一体この「心の革命」が、本質的に何をめざしているのかが垣間見られるのです。タカ派と言われてきた現都知事が『革命集会』を開くことに対して、滑稽さよりも、きな臭さを感じなけらばならなかったのでしょうか。
 「権利意識が優先され社会的責任がないがしろにされている」という指摘が事実だとしても、そもそも人権とは何かをきちんと教えようとしているのか、果たしてボランティアと奉仕を敢えて混同させるような風潮を誰がつくってきたのかなどを見極めないと、心地良い言葉でごまかされてしまいがちです。
 先に掲げた「人が生きていく上で当然の心得」とは何なのか、『当然』の中身を厳しく問わねばならないと考えます。
あやざきゆきお=事務局長
[機関紙『くさぶえ』 00年11月号掲載]
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