<42>
生きる力を育むきっかけを摘まないよう
親心はほどほどに
綾崎幸生

 「バスタオルを何枚持たせたら良いか」という質問が初めて寄せられてから、まだ五年ほどしか経っていないと思います。最近ではしばしば耳にしますが、それは家庭の生活形態が変化して、ホテルのように家族一人ひとりが違うものを毎日替える家が出てきている証拠でしょう。
 家族みんなが同じ一枚を一週間三回使ってから洗う家の人は、上のような家庭があることを知って驚きます。お互いに「信じられない!」かも知れません。
 問い合わせに対して用意している答えは「一枚で十分」ですので、前者の方には不十分に感じられるでしょうが、子どもが持てる荷物の量を考えると本来は「バスタオルが無くても入浴できる」としたいところです。普通のタオルを絞って使えば済む話ですから。
 年寄りがバスタオルを使っている様が絵にならないことから想像がつくように、日本で多くの人がバスタオルを用いるようになったのはそう遠い昔の話ではありません。ずっと手拭い一本で風呂に入ってきたのです。
 時代が違うことは承知していますが、日常とは場も違います。そもそもキャンプという行為は日常に比べ不自由で、その不自由さの中で工夫するところに醍醐味があります。
 また、「小さい子は力が弱くて絞れない」からこそ、子どもたちの交流が生じるわけです。高学年のお姉さんに絞ってもらった体験が、小さい子に絞ってあげた経験が、きっと子どもたちの心の糧になるのです。(余談ですが、欧米の“専用文化"に対して日本の文化はもともと“兼用文化"だと聞きます。ドアやベッドでなく、襖や布団にしたことで居間にも広間にも寝室にもなる部屋。ナイフとフォークに対し箸。融通を利かすのは元来得意なのでしょう。)
 さて、何か「多少の困った事態」が子ども同士の関わる必然性を生むのは、無論、バスタオルに限った話ではありません。
 やはり近ごろ増えている保護者からの質問の一つに「水筒の大きさはどのくらいが良いか」、中には「何ミリリットルのものが適当か」という質問があります。たくさん飲む子か否か、重い荷物を持てるのか否かによるわけですが、それ以前に、わが子(だけ)が困った事態に陥らないかといった不安が先に立つのでしょう。心配は十分に理解できますし、それは昔も変わらなかったと思います。
 それでも、かつての親たちは自身の体験から、重くて持てなくなろうが途中で足りなくなろうが「みんながいるのだからどうにかなるさ」という見通しが持てたのです。予定外の事態に仲間と対処する経験が、大きな心の糧をもたらすことを知っていたのです。
 しょせん心配の種は尽きませんから、親心はほどほどにして、「可愛い子には旅をさせよ」の原点を思い返そうではありませんか。
 蛇足ながら、発展途上国の人が毎日入浴しバスタオルもそのたびに替えたら地球はどうなってしまうのだろうという個人的な思いを抱きつつ。
あやざきゆきお=事務局長
[機関紙『くさぶえ』 00年9月号掲載]
[バックナンバーリストへ]   [コラムトップへ]