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親しい友人グループでも一人ひとり別々に並ぶわけ
綾崎幸生

 アルプス子ども会参加者の保護者に教員が多いことは判っていましたが、先日、中高生リーダーの集まりで尋ねたところ、家族のいずれかが教育・福祉・医療関連従事者である世帯が、実に7割にも達していました。
 これは、直接人間を相手に仕事をしている親たちが何を求めているのか、私たちの「めざすこと」が誰に支持されているのかを示す数字ではないかと受け止めています。
 スキー場のレストランで二十歳前後の若者グループが昼食を摂るときに見かけた光景です。団体予約してあったらしく、みんな同じ献立なのですが、カレー皿一枚のために、全員が配膳口に並ぶのです。いちいち一人ずつ水を汲みに立ちます。これは決して珍しい風景ではありません。
 アルプスのリーダー研修では、絶対にこうはなりません。一人で二、三人分持てば列は二分の一、三分の一に縮みます。頼まなくても誰かが数人分のコップを運びます。
 それは協力しなくてはいけないとか誰かのためにとかいった大袈裟な行為ではなく、また、決して体育会系のノリでもなく、動機の大部分は「その方が早いし楽だ」というだけの軽いものです。
 別の言い方をすると、他人の力を「あてにしている」し、同時に「あてにされる」ことに何の苦も感じないし感じさせない、そういった雰囲気から出る行動だと考えられます。
 それにはある程度の親しさが必要かと思われるかも知れませんが、エレベーターでボタンを押したり押してもらったり、スーパーの手動ドアを続く人のために押さえているのに親しさは何ら不要です。先の例も単にその延長なのではないでしょうか。
 その証拠に、たとえ親しい友人のグループもしくは恋人同士であっても、リフト券売り場で一人ひとり別々に買うのが普通になりつつあります。彼らの計算力が低いとは思えませんので、貸借清算が煩わしい、ためらわれる。突き詰めれば、あてにされるのもするのもきっとイヤなのです。
 関係する行動としてもう一つ、キャンプや研修合宿などで見るアルプスのリーダーたちはいつも決まった人とテーブルを囲まずに、班行動でない限りは食事のたびにごく自然にメンバーが組み替えられます。これなども、実はアルプス子ども会がどんな「人と人とのつながり」をもとめているかということに深く関係しているのです。
 一般に、若者には団体行動体験が足りないなどと問題にされますが、自己犠牲ばかりが強いられる「我慢する団体行動」などいくら経験を積んでも、その集団を発展させる力がつくはずがありません。互いの要求を認め合い、合意を得る過程が大事にされるからこそ他人と関わりたくなるのだと思います。
 私たちが従来訴えてきた「人と人とのつながり」が大切だということを、最近いろいろな場所で目にするようになりました。否定しようのない同じ言葉でも、一体「どのようなつながりなのか」が、これからは問われなければなりません。
あやざきゆきお=事務局長
[機関紙『くさぶえ』 00年6月号掲載]
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